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神戸地方裁判所 昭和24年(タ)20号 判決

1  本訴原告(反訴被告)と本訴被告(反訴原告)とを離婚する。

2  本訴被告は、本訴原告に対して金一二万円と、そのうち金五万円については昭和二五年四月一〇日から、金七万円については本判決確定の翌日から、いずれもその支拂ずみまで年五分の割合による金員とを支拂わなければならない。

3  本訴原告のその余の請求を棄却する。

4  原、被告間の子とみ子の親権者を本訴被告(反訴原告)と定める。

5  訴訟費用は本訴反訴を通じ、それを五分しその一を本訴原告(反訴被告)の負担としその余を本訴被告(反訴原告)の負担とする。

6  この判決の第二項中金五万円の支拂を命ずる部分は本訴原告が金一万五千円の担保をたてれば仮に執行することができる。

二、事  実

(以下本判決書においては本訴反訴を通じて山村トヨを原告、山村武夫を被告として記述する。)

原告は、本訴について「原告と被告とを離婚する。被告は原告に対して金一〇〇万円とこれについて昭和二五年四月一〇日から支拂ずみまで年五分の割合による金員とを支拂わなければならない。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と、右金員支拂を命ずる部分について仮執行の宣言を求め、反訴について「被告の反訴請求を棄却する。」との判決を求め、

被告は、本訴について「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、反訴について「原告と被告とを離婚する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

原告の本訴および反訴についての事実上の主張は次の通りである。

「原告は大正九年一〇月松田邦男の仲介で被告と結婚して事実上の夫婦となり、大正一三年一〇月二七日には正式に婚姻の届出をした。原告は被告と結婚以來、七人兄弟の長兄である被告の妻として大勢な家族の面倒を見、姑の世話をするなど、毎日、日の暮れるのも知らない程一心に被告のために仕えて來た。その間に、被告は妹みどりをその夫が負傷し失業している時、無理に離婚させ、他に嫁がせたことがあつたが、その際みどりの残していつた子「清」がまだ乳呑子であつたのを、原告は苦労を重ねて養育し、その後同人が一七歳で肺結核にかかり、死亡するまで前後七年間晝夜を分たず介抱に当つた。

また、原被告間には子供がなかつたので、被告の弟治夫を養子とすることとし、みつ子をその妻に迎えたが、治夫はその後身をもちくずして家出してしまつた。すると被告は原告の反対を押しきつて治夫の妻みつ子を離婚させ実家に帰らせてしまつたので、原告はあとに残された治夫の子二人を我子として養育し成人させるなど、三〇余年貞節な妻としてひたすら努め働いて來た。

ところが二〇年ほど前に被告はばい毒にかかり、原告にもこれを傳染させたので、夫婦二人してその治療に努めて來たが、未だに快癒するに至らず、時々再発するのであるが、被告の母は、これを原告が他から病毒を受けて被告にうつしたように言いふらし、聞くにたえぬ悪口を言いたてる。すると被告は原告に対して、一まず原告は里方に帰つているように、その後被告が出向いて原告の身のふり方をきめる、その間の原告の食糧は被告が送りとどける、いずれ原告のために一けん家をたてるようにするというので、原告はこれに從い、昭和二二年三月一まず、実家に帰つた。ところが被告からは何も言つて來ないし、食糧も送つて來ないので、一月程後、原告の弟松夫が被告にあつてその責任を問うと、被告は、原告はその姉の夫谷口貞夫と関係してばい毒になつた、そのような不貞な女とは同居できないと放言し、これを聞いて立腹した谷口貞夫が被告に対して血液検査をして身の潔白を証明すると談判したので、一應被告はあやまつたものの、やはり原告に対しては、何の誠意も示さない。そこで原告は被告が同居を許さぬままに、昭和二二年五月被告の弟一彦方の二階に戻り住んだが、この二階は板の間で電燈もないところであり、被告からよこす食糧といえば、防虫剤の臭いのする麦だけである。しかも被告は原告に田畑や山仕事を強制し、金銭は全然くれない。それでも原告は一度嫁に行つた以上はと思つて、約二年間この生活に耐えて來たが、昭和二三年八月頃からは慢性頸腺炎となつて苦しみ、到底たえきれなくなつて昭和二四年一月八日再び実家に立帰らざるを得ないこととなつた。

このように原告は被告と結婚後苦労に苦労を重ねながら、被告のため感染させられた病毒と頸腺炎とに悩み日常の働きにも困る廃人となり、頼るべき子とてない五十才を越える身を被告に見捨てられるに至つたのである。以上の事情は正に夫である被告から悪意で遺棄されたこととなり、また被告との婚姻を継続し難い重大な事由があるわけであるから、ここに被告との離婚を求める。

また被告は、原告と結婚した頃は、金物の行商をしている外、二、三反の農地を小作しているだけで、生計困難な状態であつたが、その後原告の三〇年にわたる努力のかいあつて、現在では、一流の金物卸商として田八反一畝山林一町三反、家屋敷などを所有し、その資産は三〇〇万円を越えるに至つた。原告のこれまでの努力を考えれば、原告は離婚に伴う財産分與として、被告財産の三分の一を受ける権利があると言えるから、そのうち八〇万円の分與を求めると共に、前述のような被告の所行により現在の破局に陥つた原告として、その受けた精神的打撃に対する慰藉料として当然被告の支拂うべき金二〇万円の支拂と、さらに右合計金百万円に対するその請求日である昭和二五年四月一〇日から支拂ずみまで民法の定める年五分の利率による遅延損害金の支拂とを求めるものである。」

以上が原告の主張である。

次に被告が、本訴と反訴とについて述べた事実上の主張は次の通りである。

「原告と被告とが大正一三年一〇月二七日正式に婚姻し、現に夫婦であることは原告のいう通りであるが、その後の事情として原告の主張するところは事実に反する。かえつて以下に述べるように、被告にこそ離婚せらるべき事実が存する。すなわち、原告は大体怠惰で家事に殆ど役立たず、被告の母が家事に当つていたのである。被告の妹みどりやその子について原告が述べているところも事実に反するのであつて、みどりがその夫と離婚するに至つたのは、双方相談の上のことであつたし、被告が引取つたみどりの子が一九歳で病床についてからも、その看護に当つたのは、被告の母及び被告自身であり、原告が夜もねないで看護したような事実はない。また原告の弟治夫が家を出てしまつた後、その妻が離婚して実家に帰つたことがあるが、これは治夫の家出後その妻子が被告の家に同居していることを原告が嫉妬するので、本人親族にも話して離婚することになつたのであり、その二人の子も被告が引取つて母と共に育て上げ現在に至つているのであり、原告が我が子のようにして養育したということはない。

原、被告両名がかつてばい毒にかかつたことはあるが、元來原告は多情者で被告方の若い雇人を無理に誘惑して情交を結んだことさえある(この時被告はすでに原告を離別するつもりだつたが、母の言葉もあつて差控えた)のだから、原告のいうように、被告から原告に病毒をうつしたものかどうかわからないのであり、しかもこの時の病気は夫婦して熱心に治療に努めた結果一たん全快したのである。

ところがその後も原告は口実を設けて実家に行つて來ると称しては、他所へ行き、何人かと関係してばい毒を受け、被告も原告からこの病毒を受け発病するに至つたが、さらに原告は被告の就寝しているすきをうかゞつて、被告の店員の寝所に忍び寄るなど、その行動は目に余るものがあつたので、被告は意を決して一たん原告をその実家に帰した。その後しばらくして原告はふたたび被告のもとに復帰したが、またも被告方店員の一人と納屋で密会するという醜態を演じたので、被告はそのようなことの起るのを防ぐため正直で親切な被告の弟の家の二階を造作して原告をここに住まわせることにしたが、その食糧はもとより、小使銭に至るまで支給していたのであつて、その間原告を遺棄したといわれるようなことはない。然るに、原告は昭和二四年一月被告の弟を通じて離婚を求めて來たので被告は今少ししんぼうするようにと申傳えたのに、原告はこれを聞かず、里方の兄や甥も安樂に暮させてやるから実家へ戻つて來いといつているから、どうしても帰るといつて実家へ帰つてしまつたのである。

以上のように、被告は何等原告のいうような離婚原因を作出したことはないのであるから、原告の本訴請求は失当であるばかりでなく、さきに述べたように、原告こそ第三者と不貞の行爲があつたのであるし、昭和二四年一月には恣に実家に帰つてしまつたのであるから、これは夫である被告を悪意で遺棄したものというべく、しかも前述の事情を総合すれば、被告には原告との結婚を持続し難い重大な事由があるわけであるから、これ等の事由に基いて原告との離婚を求めるものである。

なお、原告が被告財産関係について主張するところはすべて爭う。」

以上が被告の主張である。

<立証省略>

三、理  由

眞正に成立したものと認められる甲第一号証(戸籍謄本)によれば、原、被告は大正一三年一〇月二七日婚姻して現に法律上の夫婦であることは明かである。証人松田しづ、山村一彦の各証言と原告本人尋問の結果、被告本人尋問の結果の一部を綜合すると、次の事実が認められる。すなわち、原告は被告と大正九年か一〇年の頃結婚して事実上の夫婦となつた。その頃被告の家は、被告の母や弟妹など七、八人の大家族であつて、被告は金物商につとめており、やがて独立して金物商を営むかたわら、農業を営んでいたが、原告は、この間にあつて、被告や母を助けて家事に当り、田畑の耕作仕事にも精出して働いて來たし、その後被告がひきとつた被告の妹みどりの子や、被告の弟治夫の二人の女子なども幼少であつたのを、被告の母と協力して養育するなど、被告の妻としてつくすところが少くなかつた。その間被告は結婚後約一〇年には、さきにも述べたように、独立して金物商を始めたのだが、その商用の旅行先で女に接してばい毒を受け、これを原告にも感染させたこともあつたが、これはその後夫婦二人して治療に当り、大体治癒するに至つたのでこのために、特に夫婦中が円満を欠くということもなく、また約一五、六年も前に、被告方に雇われていた若い店員が、原告の入浴中その附近にたたずんでいたのを被告の母が見とがめて叱責し、そのことから原告がこの店員と醜関係があつたかのように、被告やその母は疑いをいだくに至つたこともあつた(事実そのような不貞行爲が原告にあつたことを適確に証すべき証拠はない。被告本人尋問の結果や山村まつの証言中これを証するような供述があるが、それも傳聞に基く推測にすぎない。)が、それもながい夫婦生活の間の一事件で、昭和二二年頃まで約三〇年に近い間は、原被告は夫婦として同棲し、格別破綻も來さないで生活を共にして來たのであつた。そこで進んで昭和二二年三月頃、原告が被告と別居するに至つた事情について判断する。前記各証拠に証人山村一彦、谷口貞夫、田村文男の各証言をも加えて判断して、その別居ならびにその後の事情は次のようなものであつたと認める。すなわち、原告は昭和二二年春の彼岸のころ、実家を訪れ数日後帰宅したが、その後間もなく被告はばい毒の症状を感じるに至つた。すると被告は原告が里帰り中たまたま、その姉の夫谷口貞夫の家を訪れたことがある事実をとらえて、原告がその際谷口貞夫と情交関係を結び、同人からばい毒を受け、それが被告にうつつたのだと思い込んで、その事実を確かめることもなく、被告の母もこれに加つて、ひたすらに原告を責め、その素行を疑い、そのような不貞な女は家におけないとして、これを実家に帰してしまい、しかもそのことを近隣に言いふらしもした。その後、これを傳えきいた谷口貞夫は身に覚えのないことであるとして被告方に行き、被告をなじつたのに対し、被告ももとより確証とてないことなので、一應陳謝したこともあり、また原告の兄弟等からも交渉があつて、約一月の後原告は実家から被告の家へ立戻ることとなつたが、未だに疑惑の心とけぬ被告は、原告を家に入れず実弟一彦方の二階に別居させてしまつた。それは、被告としては、原告と同居すると自分の病気がなおらないと信じ、とにかく原告の素行を疑つて、その素行について疑わしい行爲がなかつたならば、再び家に迎えて同居する意思に出たのであるが、原告の別居せしめられた居室というのは、電燈もなく、疊もなく僅に上敷を敷いて起居するような状態であり、しかも原告はこのところに別居させられながらも相変らず、被告等のためその田畑の耕作山仕事に專念し、その素行についても被告をして疑わしめるような行動は一切なかつたにもかかわらず、被告はその後約二年近く原告をこの状況のまま放置して同居を許さず、夫婦関係も結ばず、主食類をこそ支給していたものの、前記のような原告の働きにも、またその妻としての地位にもふさわしからぬ窮況にさらして顧なかつた。原告はこうした生活を続けるうち、ついに昭和二三年中にはるいれきにかかり苦しんだが、その治療費はもとよりまかなえるところでないし、被告は相変らず、復帰に肯じないので、原告も終に被告との婚姻継続に望を絶ち昭和二四年一月実家に立帰らざるを得ないこととなつたのである。証人山村まつの証言、被告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は信用できないし、その他原告に不貞行爲があつたとの被告主張事実を証するに足りる証拠はない。

以上の事実によつて見れば、被告は何等正当の事由なく原告を同居せしめなかつたのであつて、原告を悪意を以て遺棄したものというべきである。從つてこの事由に基く原告の被告に対する離婚の請求は理由がある。

一方被告の反訴で主張する離婚原因について考えると、その不貞行爲を原因とするものは、原告の不貞行爲の存在について前述の通りこれを証するに足りる証拠がないのみならず、その主張する不貞行爲なるものは、被告の主張によつても、昭和二二年四月以前のことで、しかもその頃被告はその存在を知つたものというにあると解せられるのであるが、そうすれば、それは旧民法(昭和二二年民法の一部を改正する法律による改正前の民法)の適用を受けて、その事実を知つた日から一年を経過した後は訴を提起できないのであり(旧民法第八一六條)被告が右事由による反訴を提起したのが、昭和二五年になつてからのことであることは、本件記録上明かなのであるから、元來右事由による離婚の請求はそれ自体許すべからざるものなのである。さらに、被告は原告が昭和二四年一月実家へ復帰したのは被告を悪意で遺棄したものであると主張するが、その事情が前認定の通りである以上、これを以て原告について悪意の遺棄と言えないことは明かである。然しながら、前段に認定した諸事情と双方口頭弁論の全趣旨とをあわせ考えると、原被告間の婚姻関係は事実上すでに破壊せられて、再建の見込も殆んどなく、しかも原告自らも離婚を求めている実情なのであるから、ことここに至つた責任は主として被告に存するとはいえ、婚姻を継続し難い重大な事由あるものとして離婚を求める原告の請求は、これを斥けるべき理由がなく、結局正当なものであるから、これを認容する。

なお、原被告間には未成年の子とみ子がいるのであるが、同人は本件弁論の全趣旨によれば、原被告別居後も引続き父である被告の下にとどまつているものと認められるので、同人に対する親権者は被告と定めることが適当と認め、民法第八一九條第二項、人事訴訟法第一五條により被告を右とみ子の親権者と定める。

最後に、原告の財産分與、および慰藉料請求の点について判断する。

被告本人尋問の結果と、眞正に成立したものと認める甲第五号証の一(久留美村長作成証明書)とによれば、被告は田八反一畝二〇歩(この賃貸價額合計一六七円八五銭であつて、これを基準とし、「自作農創設特別措置法及び農地調整法の適用を受けるべき土地の讓渡に関する政令」の定める強制讓渡の場合の最低價額を算出すれば四六、九九八円となる。同施行令第一四條等参照)、山林一反五畝(この價額は少くとも五千円)宅地一二三坪、建坪三七坪七合の木造平家建草葺居宅、建坪一三坪の木造瓦葺平家建物置各一棟を所有し、昭和二四年一月被告等兄弟等がよつて設立した資本金一〇〇万円の合資会社山村武夫商店に金一五万円を出資し(この会社は純資産二一万円のほか取立不確実だが約八〇万円近い賣掛代金債権をもつている。)その代表社員をつとめ、月約一万円の給料を受けているのであつて、その資産は少くとも三〇万円を下らぬものと認められる。他方原告はその本人尋問の結果によつて明かなように、年はすでに五〇才を越え、何の資産もなく收入を得べき職なく、またその年齢経歴等から見て将來就職、再婚の機会はまずないものといわねばならず、たよるべき子もない(この点は前記甲第一号証で明かである。)身の上であること、ならびにさきに認定したように、被告と結婚以來約三〇年被告を助けて家事に当り、殊に農業は被告よりむしろ原告が主としてこれを営んで來たこと、及び前述の如き離婚を決意するに至るまでの諸事情等、諸般の事情を考慮すれば、原告に対して分與されるべき財産は金七万円が相当であるし、その慰藉料は金五万円が相当であると認める。なお、原告は右各金員について昭和二五年四月一〇日本訴でその請求をした日以後年五分の利率による遅延利息金の請求をしており、これは右の慰藉料については相当であるが、財産分與による金員支拂についてはその性質上本判決の確定によつて始めて、その支拂義務が発生し、履行期となるものというべきであるから、それ以前について利息金、損害金等の支拂を求め得べきでない。

從つて、右の金員支拂に関する原告の本訴請求は、財産分與としての金七万円とこれについて本訴確定の翌日から、慰藉料としての金五万円と、これについて昭和二五年四月一〇日からいずれもその支拂ずみまでの民法の定める年五分の利率による遅延損害金との支拂を求める限度において正当であるから、これを認容するが、これを越える部分は失当としてこれを棄却する。

なお、原告は、財産分與としての金銭支拂を命ずる判決についても、仮執行の宣言を求めているが、その給付義務は、さきにも述べたように、本判決確定によつてその時に発生するものであり、これを本裁判確定前に仮に執行することは許されないわけであるから、この部分についての仮執行申立は許容しないが、慰藉料の支拂を命ずる部分については仮執行を許すことを適当と認め、民事訴訟法第一九六條により、仮執行の宣言をなし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九條、第九二條を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石井末一 西川正世 北後陽三)

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